METROPOLITAN MANDOLIN ORCHESTRA

第16回演奏会

1.日時

 

2005年9月24日(土) 18:00会場 18:30開演

 

2.場所

 

日本大学カザルスホール  (地図はこちら)

 

3.指揮者

 

小出 雄聖

 

4.ハープ

 

佐々木 冬彦

1987年東京芸術大学音楽学部卒業、90年同大学院修士課程修了。在学中、作曲を松村禎三、黛敏郎他の各氏に、ハープを篠崎史子氏に師事。現在は作曲家として、またハープ奏者としてソロ、アンサンブル、オーケストラなどで幅広く活躍中。また復元された古代アジアの大型ハープ「箜篌」(くご/原物は奈良正倉院収蔵)の演奏家の第一人者としても国内や海外での公演、音楽祭、録音等に数多く出演している。92年アメリカ「アスペン音楽祭」、98年香港「アジア音楽祭」及び「循環するシルクロード」中国公演、02年スイス「第8回世界ハープ・コングレス」「ジュネーヴの夏音楽祭」、03年フランス「東西の出会い」(パリ日本文化会館)、04年アメリカ「ミュージック・フロム・ジャパン30周年記念公演」(ニューヨーク・カーネギーホール、ワシントンDC・ケネディセンター他)等に出演。90年~93年、白根桃源郷ハープ・フェスティバル音楽監督。95年福井ハープ音楽賞第2回国際作曲コンクール優秀作曲賞受賞。

92年から99年まで文化学院芸術専門学校講師。近年は大規模施設やイヴェントの作曲も手がけ、03年開館した門司港・海峡ドラマ・シップの「海峡アトリウム」、04年浜名湖花博の主催者庭園「ほほえみの庭」の作曲を担当。主なCDは、ハープ・ソロ・アルバムに「主よ、人の望みの喜びよ」(96年)、「祈り・音楽・海」(99年)。この2つのアルバムは現在までに1万枚以上のセールスを記録している。「甦る古代の響き~箜篌」(99年)はレコード芸術誌特選CDに選ばれた。

 

5.ソプラノ

 

太田 真紀

同志社女子大学学芸学部音楽学科声楽専攻卒業。同志社女子大学音楽学会《頌啓会》特別専修生修了。2003年、大阪音楽大学大学院歌曲研究室修了。川下由理、山村 弘の各氏に師事。また2004年、ベルリンにて宮廷歌手であるDr. Herbert Brauerに師事。大学院時代はシェーンベルクを専門に研究を重ね、2003年には『月に憑かれたピエロ』を全曲演奏した。ドイツ・リートの伝統を基礎に置きつつ現代の声楽技法を実践しており、2004年度日本現代音楽協会主催音楽演奏コンクール「競楽VI」にてベリオ、松平頼暁、グロボカールの作品を演唱して第3位に入賞。日本初演、世界初演を含めた多くの現代作品を上演している。

 

4.曲目

 

○アントン・ウェ‐ベルン(笹崎譲編曲)/弦楽四重奏のための緩除楽章(1905)

○モーリス・ラヴェル(笹崎譲編曲)/序奏とアレグロ

○松平頼暁/Bee in the Cage(委嘱作品・初演)

○リヒャルト・シュトラウス(笹崎譲編曲)/メタモルフォーゼン(変容)AV.142~23の独奏弦楽器のための習作(1945)

 

5.楽曲解説

 

アントン・フォン・ヴェーベルン(1883~1945)

 

弦楽四重奏のための緩除楽章(1905)

 

 シェーンベルク(1874~1951)にその弟子であるヴェーベルンとベルク(1885~1935)を加えた3人を新ヴィーン派といい、12音主義(dodecarhony)による作品をかいた、というのが音楽史の教科書にかいてあることですが、ヴェーベルンの作品番号の付されていないこの曲は12音主義の技法が確立される(1921年頃)前に書かれ、非常にロマンチックな雰囲気を持っています。同じく1905年に書かれたこれも作品番号を持たない弦楽四重奏曲(Streichquartett)がほとんど調性感をもたないのに比べると非常に対照的な気がしますが、実はこの曲を書いたとき彼は後に妻となる従妹に夢中になっており、このようなポスト・ヴァーグナー風の作品を書いたのだという説があります。

 曲は単一楽章からなり、ハ短調4分の4拍子の「表現に満ちて活気づいてゆっくりと(Langsam.mit bewegtem Ausdruck)」に始まります。序奏なしで第一ヴァイオリンにより奏される、4度の跳躍から始まり2オクターヴに届かんとする主題を含む部分をAとし、「非常に落ち着いて(Sehr ruhig)」と書かれた第2ヴァイオリンのハ長調の主題を含む部分をBとすると、全体はA-B-Aの3部形式に短いコーダがついている形式と俯瞰できます。

 ヴィーン風後期ロマン派の最後の輝きがマンドリン合奏でどのような編曲・味付けが行われているかを楽しんでいただきましょう。


モーリス・ラヴェル(1875~1937)

 

序奏とアレグロ(1905)

 

この作品には「弦楽四重奏、フルートそしてクラリネットを伴奏にもつハープのための」という副題があります。いわば七重奏の編成ですが、ハープだけにカデンツァが用意されており、実質は独奏ハープと室内アンサンブルのための単一楽章の協奏曲です。同種の趣向の作品にドビュッシーによる「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」(こちらは弦楽合奏とハープの作品ですが)があり、いずれもハーピストたちの重要なレパートリーとなっております。実は、近代のペダルハープは、19世紀の終わりごろフランスのエラール社によって開発されたものです。同じくフランスのプレイエル社は同時期半音階ハープ(クロマチックハープ)を開発しており、ドビュッシーにこの楽器のための作品を委嘱して完成した作品が、前述の「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」。一方、エラール社がペダルハープのためにラベェルに委嘱した作品が「序奏とアレグロ」なのです。半音階ハープは音量がやや小さいことや、構造上全音階グリッサンドの演奏が不可能なことなどから、現代ではいずれもペダルハープで演奏されるようになりました。

 

曲は、古典派のソナタ第1楽章のように、緩やかな序奏部を持つソナタ形式にて作曲されております。ラヴェルの「ダフネスとクロエ」冒頭を思わせるような緩やかな主題に導かれて始まります。アルペジオで加わっていたハープが後半主題によるカデンツァを弾くと、テンポはアレグロになりソナタ形式主部に移ります。形式どおり主部、展開部と進み、音楽がfffまで高まると、ハープによるこの曲3度目のカデンツァに突入します。これまでの各主題が織り込まれ、華麗な独奏ハープの聴き所を過ぎると、再現部になり第1、第2主題が再現されます。第2主題の変化形が速いテンポで演奏されるようになると全楽器によるクライマックスが築かれ、輝かしく全曲を閉じます。


松平頼暁(1931~)

 

Bee in the Cage(委嘱作品・初演)(2005)

 

2005年、メトロポリタン・マンドリン・オーケストラの委嘱によって作曲。作曲中のオペラ「挑発者達 The Provacators」の中のアリアで、他の2つのアリア、Bedside MoonlightとIt!s gonna be Hardcore、プロローグ、エピローグが既に完成している。題意は、C.A.G.Eの4音の反復にB♭音が介在することによっている。これら合計5音とその増4度移高型F#.E♭.C#.B♭(重複).E(重複)の計8音やその残りの音、D.F.A♭.H、或いは元の8音の音程縮小型等が使われている。テキストはブロークンな英語で歌われる。(作曲者記)

 

作曲者プロフィール

 

1931年東京生まれ。東京都立大学理学部卒。作曲、ピアノを独学。1957年から60年まで総音列主義によって作曲。次の6年間、不確定性に関心を持つ。1967年から約10年間、ロバート・ラウシェンバークのいうコンバインド・アートに触発され、新しい引用音楽を書き始める。1976年から、旋法による作曲を始める。最近、その延長として、ピッチ・インターヴァル技法を開拓しつつある。

1958、67、69、72、75、84、87、91、93年に国際現代音楽協会(ISCM)主催の音楽祭「世界音楽の日々」に入選。1990年第三回カジミエシュ・セロツキ国際作曲家コンペティションでメック出版社特別賞を受ける。

 

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リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)

 

メタモルフォーゼン(変容) AV.142 ~23の独奏弦楽器のための習作(1945)

 

リヒャルト・シュトラウスは第2次世界大戦中、自由に国外に出ることは許されず、刻一刻と祖国ドイツが滅びゆく様を眼前に眺めそれをどうすることもできない状態にいました。大戦の末期である1945年、80歳を超えていたシュトラウスは、激しくなる戦火を避けてガルミッシュ=パルテンキルヘンの自分の山荘に避難していましたが、ここへも砲声が轟き、各地での敗戦の悲報が伝えられてきました。ミュンヘン、ドレスデンが廃墟と化し、3月にシュトラウスは悲痛な気持ちで「メタモルフォーゼン」のスケッチに取り組みます。こうして、この曲はドイツの音楽と文化に対する挽歌であり世界の終末を悼む作品となっていくのです。指揮者としても活躍したシュトラウスの本拠地、ウィーン国立歌劇場は3月12日にアメリカ軍の攻撃で崩壊、その翌日の13日から「メタモルフォーゼン」のスコアに着手、1ヵ月後の4月12日に完成し、その最後には「イン・メモリアム(=記憶に)」と書かれました。そして翌13日にはソビエト軍がウィーンを占拠し、その後4週間ほどでドイツは降伏します。

 

この曲は、一般の弦楽合奏と異なり、各奏者が独立したパートを担当することが多く書かれています。「23の独奏弦楽器」と副題が着いているのは、オリジナル作品が最大23段のスコアに書かれているからです。シュトラウス最晩年の作品でもあるため、この曲の書法はたいへん精緻であり、対位法の粋が凝縮された作品となりました。本日演奏する「笹崎譲編」は、ソロとトゥッティを巧みに組み合わせ、マンドリン・オーケストラならではのクリティカルな音楽をお届けできると思います。全体の構造は自由なソナタ形式と解釈されますが、そのテーマとなるのはベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章葬送行進曲の冒頭部分の主題です。

 

曲は緩やかに始まり、序奏的な第1主題に続き、葬送行進曲の主要動機から導き出されたと思われる第2主題が表れます。この主題の三つの同じ音からなる4分音符の動機は、全曲を通して重要なモティーフとなります。さらにこの動機に導かれ、3連音符からなる第3主題が提示されます。これらの主題を対位法で展開させ、転調しながら変ホ短調で頂点を築きます。

 

“多少流れるように”指示された第2部に入ると、ト長調の第4主題が表れます。これら主題は別の要素も導き、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」からの引用や自作の「ツァラトゥストラかく語りき」などからの引用と思われる動機も表れます。第2主題の変奏、第1主題、第4主題が“ピゥウ・アレグロ”となり感情を高めていきます。

 

第3部は“テンポ・プリモ”に始まります。これは第1部の自由な再現部であり、第2主題を中心としたメタモルフォーゼ=変容の手法により曲が構成されています。ちなみに曲名となった「メタモルフォーゼン」とは、「メタモルフォーゼ」の複数形です。最後に“モルト・レント”に速度を落とし、第1主題の下に葬送行進曲の主題が待ちかねたように、はっきりとただ1回だけ演奏され、全編を閉じます。

 

シュトラウスは山荘に避難しているときに、ゲーテの作品を熟読する生活を送っていたといいます。ゲーテの詩「植物の変容」「動物の変容」といった博物誌的な作品からの暗示も受けて、葬送へつながっていく人間を描いた楽曲ともいわれており、こうした意味では標題音楽的意味合いも持つことになります。