METROPOLITAN MANDOLIN ORCHESTRA

第18回演奏会

1.日時

 

2007年9月16日(日) 18:00開場 18:30開演

 

2.場所

 

日本大学カザルスホール  (地図はこちら)

 

3.指揮者

 

小出 雄聖

 

4.曲目

 

○アントン・ブルックナー(笹崎譲編曲)/弦楽五重奏曲より第3楽章

○クロード・ドビュッシー(笹崎譲編曲)/交響組曲「春」

○モーリス・ラヴェル(笹崎譲編曲)/「夜のガスパール」より第2曲「絞首台」

○レオシュ・ヤナーチェク(笹崎譲編曲)/狂詩曲「タラス・ブーリバ」

 

5.楽曲解説

 

アントン・ブルックナー(1824~1896)

 

弦楽五重奏曲より第3楽章(1879)

 

ブルックナーは、現在のオーケストラで重要なレパートリーとなっている交響曲と、いくつかの宗教曲・声楽曲によって知られています。室内楽は習作的作品をごく僅か残しておりますが、弦楽五重奏はたいへん充実した作品であり、同時代の他の作曲家による室内楽作品と比較しても劣ることが無い傑作です。

 

作曲の時期は、彼の第5交響曲と第6交響曲の間、旧作の交響曲の改定に取り組んでいた3年間の中で生み出されました。作曲のきっかけは1961年に弦楽四重奏の委嘱を受けたことによるのですが、、その17年後に作曲に手がつけられたときにはヴィオラを2本とする弦楽五重奏となりました。全4楽章からなるこの作品は彼の交響曲の様式との相似点が多く、通常の室内楽以上にシンフォニックな楽想であり、そのための五重奏の編成だと思われます。

 

本日取り上げる第3楽章は、全曲のクライマックスと言える楽章で、旋律と和声の美しさはブルックナーのアダージョ楽章の特徴が表れており、その中でも傑作だと言えます。冒頭の12小節からなる息が長い主要主題と、その反行型から導かれるもう一つの主題を中心に展開されます。


クロード・ドビュッシー(1862~1918)

 

交響組曲「春」(1886~1887)

 

ドビュッシーは、1884年カンタータ「放蕩息子」にて、フランスの芸術家たちの登竜門ともいわれるコンクール、ローマ大賞を獲得します。大賞受賞者はローマで数年間の留学を保障され、その成果として留学作品として作曲された作品が、交響組曲「春」です。管弦楽に2台のピアノ、合唱(合唱部分は歌詞が無いヴォカリーズ)を伴う意欲作だったと言われていますが、スコアは火災で焼失してしまいました。そこで、代わりに合唱・ピアノ譜がローマ賞芸術アカデミーへ提出されましたが、芸術アカデミーは初演を拒否します。この時の審査員達によって、やや否定的な意味で印象主義という言葉が彼に対して使われ始めるのです。

 

 のち、1912年、ドビュッシーの指示のもとでアンリ・ビュッセル(Henri Busser 1872~1973)によって、声楽部分を管弦楽のに中に収めた新しい編曲が完成され、現在のオーケストラのレパートリーとしては、この版が使用されております。

作品は、ボッティチェリの名画「春」にインスパイアされ、生命の誕生や生長を、描写的にではなく音楽の喚起する力に重ね、花開き歓喜する姿を描こうとしたと言われております。2つの楽章からなりますが、主要な主題は両楽章ともに共通しており、一体感を感じさせます。

 

 なお、本日演奏する編曲はピアノ2台とヴォカリーズ合唱のために出版された版も使用されており、この版と較べるとビュッセル版には数小節のカットが数カ所見うけられます。


モーリス・ラヴェル(1875~1937)

 

「夜のガスパール」より第2曲「絞首台」(1908)

 

アロアジウス・ベルトラン(1807~1841)による幻想的な散文詩集「夜のガスパール」から3篇を選び、ラヴェルは3曲からなるピアノ組曲を作曲しました。いずれも、超絶技巧が求めらていることでも有名です。

 

第2曲「絞首台」は、旋律に合わせて拍子が次々に変化していきますが、鐘を模した変ロ音は終始一定のリズムで鳴り続けます。緊張感をよぶ不気味な持続音は、ピアノ曲でありながら3段の五線譜で書かれたこの曲の中に深く入り込み、曲とともに静かに消えていきます。

 

出版された楽譜には、ベルトランの原詩がそえられております。

ああ、聞こえてくるあの音は、冷たい夜風がひゅうひゅうと鳴る音か、それとも絞首台に吊られた死人が吐くため息か?/絞首台の足元を覆う苔や蔦の中で鳴いているコオロギか?/死人の聞こえない耳の周りで、狩の合図のファンファーレを吹く蝿か?/彼の禿げた頭から血が滴る髪をむしり、飛び回っている黄金虫か?/それとも、絞められた首にネクタイをしようとモスリンに刺繍をしている蜘蛛か?/それは地平線の町の城壁で鳴る鐘、そして夕日を浴びている絞首刑囚の死骸。


レオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)

 

狂詩曲「タラス・ブーリバ」(1915~1918)

 

現在のチェコ東南部モラヴィア地方に生まれたヤナーチェクは、生涯その中心都市であるブルノをほとんど離れることがなかったと言います。モラヴィア民謡と話しことばの研究に取り組み、その成果は彼の9つのオペラで遺憾なく発揮されております。「利口な女狐の女房」「マクロプロス事件」など、それらの作品は、世界各国のオペラ劇場で現在でも上演されています。特徴は器楽作品にも表れており、短い動機の反復と変容から全体が編み上げられていくその手法は、初めて聴いた作品でも記憶に残る特徴があります。

狂詩曲「タラス・ブーリバ」は、多くの作品を自ら破棄してしまったヤナーチェクが残した管弦楽の代表作です。15世紀のコサック軍英雄タラス・ブーリバが、ポーランド軍と死闘を繰り返し壮絶な最期を遂げた史実に基づく、ロシアの作家ゴーゴリーの小説「隊長ブーリバ」の中から、3つの場面を選び作曲されました。チェコが独立を宣言した1918年に完成され、その背景には同じスラブ民族であるロシアへの共感があったと言われています。

 

○第1曲 アンドレイの死

曲は、全曲で変形して用いられるブーリバの主題に始まり、抒情的な主題によりブーリバの次男アンドレイと敵であるポーランド貴族の娘との愛を描きます。味方であるコサック軍を裏切ろうとしたアンドレイは、父ブーリバの手によって銃殺されることを覚悟します。荒々しい音楽が重大な決意をしたブーリバを表し、アンドレイの死を悼むかのような鐘の音とともに、静かに曲を閉じます。

 

○第2曲 オスタップの死

勇敢なタラスの長男オスタップは戦いに破れ捕らえられ、刑場へ引かれて行きます。重く引きずるかのような主題が、その様を描きます。ポーランドの勝利を祝う舞曲が興奮する見物の群集を現しますが、その中には父タラスがおりました。拷問の苦痛に父の名を呼ぶスタップと、それに思わず返答してしまうブーリバを描写し、打楽器のクライマックスとともにオスタップの首が刎ね落とされます。

 

○第3曲 予言とタラス・ブーリバの死

息子の復讐を誓ってタラス・ブーリバはポーランドに攻め込みますが、逆に捕らえられ火刑に処せられることとなります。音楽はブーリバの嘆きと群集の乱舞を描き最初のクライマックスを作りますが、ティンパニの6連打とともに突如静かになり、遠くから角笛が聞こえてきます。火刑台の燃え盛る炎の中で、ブーリバはロシアの不滅と勝利を高らかに予言し、壮麗な調べが高まっていきます。ブーリバの昇天と栄光を称えるコーダにより、全曲を閉じます。