METROPOLITAN MANDOLIN ORCHESTRA

第19回演奏会

1.日時

 

2008年9月21日(日) 18:00開場 18:30開演

 

2.場所

 

日本大学カザルスホール  (地図はこちら)

 

3.指揮者

 

小出 雄聖

 

4.マンドリン

 

佐藤 洋志

 

5.曲目

 

○湯浅譲二/エレジイ・哀歌 マンドリン・オーケストラのための(2008) (委嘱作品・初演)

○ジャン・シベリウス(笹崎譲編曲)/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op47(マンドリン協奏曲編曲版)

○ジャン・シベリウス(笹崎譲編曲)/交響曲第5番 変ホ長調 op82

 

6.楽曲解説

 

湯浅 譲二(1929~)

 

エレジイ・哀歌  マンドリン・オーケストラのための(2008) (委嘱作品・初演)

 

今年二月に私は妻を亡くした。来る11月で丁度50年目になる結婚生活だった。私の心に大きな空洞が生じ、3月初演予定の曲は完成することが出来なかった。

 この曲は、そうした私自身の気持ちに、区切りをつけようと思い、委嘱を受けて構想を始めていたものを、変更して作曲に向かった。

 具体的な曲想などの解説はさけたいと思うし、又不要だとも思う。

 ただ、聴いていただければ幸いと思う。

(作曲者記)

 

作曲者プロフィール

 

1929年8月12日、福島県郡山市に生まれる。作曲は独学。慶應大学医学部進学コース在学中より音楽活動に興味を覚えるようになり、やがて芸術家グループ<実験工房>に参加、作曲に専念する(1952)。以来、オーケストラ、室内楽、合唱、劇場用音楽、インターメディア、電子音楽、コンピュータ音楽など、幅広い作曲分野で活躍している。

 

これまで彼の音楽は、映画や放送のための音楽を含めて、ベルリン映画祭審査特別賞(1961)、1966年および67年のイタリア賞、サン・マルコ金獅子賞(1967)、尾高賞(1972、88、97、2003)、日本芸術大賞(1973、83)、飛騨古川音楽大賞(1995)、京都音楽賞大賞(1995)、サントリー音楽賞(1996)、芸術選奨文部大臣賞(1997)、紫綬褒章(1997)、恩賜賞(1999)、日本芸術院賞(1999)など、数多くの賞を受けている。

 

ニューヨークのジャパン・ソサエティ(1968-69)をはじめ、実験音楽センターUCSDの招待作曲家(1976)、DAADのベルリン芸術家計画(1976-77)、シドニーのニュー・サウス・ウェールズ音楽院(1980)、トロント大学(1981)、フランス国立音響音楽研究所(IRCAM;1987)など、内外数多くの給付招聘を受けている。また、ハワイにおける今世紀の芸術祭(1970)、トロントのニュー・ミュージック・コンサート(1980)、ホンコンのアジア作曲家会議(1981)、ブリティッシュ・カウンシル主催の現代音楽巡回演奏会(1981)、ニュージーランドのアジア太平洋祭(1984)、アムステルダムの作曲家講習会(1984、87)、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会(1988)、レーケンボー音楽祭(1986、88)、パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル太平洋作曲家会議(1990)、東京オペラシティのコンポージアム2002などに、ゲスト作曲家、講師、審査員として参加している。

 

クーセヴィツキー音楽財団によるオーケストラ曲の委嘱をはじめ、ザールラント放送交響楽団、ヘルシンキ・フィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、カナダ・カウンシル、サントリー音楽財団、IRCAM、米国国立芸術基金などから、オーケストラ、室内楽、合唱、電子音楽など、多数の委嘱を受けている。1995年には第二次世界大戦終結50周年記念としてシュトゥットガルトの国際バッハアカデミーの委嘱による《和解のレクイエム》のレスポンソリウムを作曲、初演された。

 

これまで、オーケストラを含む多くの作品が、ISCM世界音楽の日々(1971、74、78、79、81、83-86、91、93、95、2005)やワルシャワの秋(1969、76、78、81、84、86)、ホライゾン’84、ウルティマ音楽祭(95、05)、ヴェネツィア・ビエンナーレ(2005)などを通じて、広く世界で演奏されている。

 

1981年より94年まで、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校(UCSD)教授として、教育と研究の場でも活躍。現在、UCSD名誉教授、日本大学芸術学部大学院客員教授。

 

委嘱作品解説一覧はこちらへ


ジャン・シベリウス(1865~1957)

 

交響詩「フィンランディア」があまりに有名であるために、シベリウスはフィンランドの民族主義的な作曲家として知られているように思います。確かに彼の初期の作品はロシア音楽からの影響を受けたような、ロマンティックな気分と旋律をもち、雄弁かつ理解しやすい構造による音楽です。しかし、全7曲完成された交響曲の内もっとも人気がある第2番が完成された1902年頃を境に、大きくその作風を変えていきます。

 

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op47(マンドリン協奏曲編曲版)(1903/1905)

 

シベリウスの初期の作品は、ロシア音楽からの影響を受けたようなロマンティックな気分と旋律を持った理解しやすい構造による音楽です。しかし、1901年から4年間ほどシベリウスは耳を患い、この出来事が彼を憂鬱にして内面を掘り下げていく傾向が強まり、作風の変化が始まります。

1904年、シベリウスは首都ヘルシンキから北東30キロほどのヤルヴェンバーに別荘を持ち、家族とともに移り住みます。愛妻アイノにちなんで「アイノラ」と名づけられたこの別荘で、この地で亡くなるまでの50年以上を静かに暮らす生活を続けました。以降、初期の民族主義的音楽とは一線を画す作品を発表するようになります。ここでの最初の大きな仕事が、ヴァイオリン協奏曲の改定でした。独奏ヴァイオリンのパートは華麗に、かつたいへん技巧的に書かれています。1903年に完成した後、翌年2月に初演されましたが、評判が芳しくなく、すぐに改定に着手します。この決定稿は、1905年に完成、初演されました。

ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンがまだ子供のとき、初めてテープレコーダーでシベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴いたとき、まず面食らってしまったと語っています。1つの形が立ち上がりかけると、とたんにその流れが途切れて無関係な動機が飛び出してくると聴こえた、その構成にもたいへん戸惑ったそうです。この曲は個性的な形式を持ち、また、繊細で透明な朝靄に射す光のような旋律から雄大な大地を感じさせる力強い旋律までの振幅が大きく、交響曲のような表現を求められる作品です。

 

○第1楽章

幻想的な霧がかかったような伴奏の上に、独奏マンドリンが哀愁に満ちた第1主題をもって表れます。オーケストラによる第2主題、力強い結尾主題までが提示され、音楽は進んでいくのですが、全曲の中央まで進むと独奏マンドリンによるカデンツァに入ります。カデンツァは楽章全体の展開部の特徴をもっており、大きな比重をもっています。以降、3つの主題が発展した形で再現されます。激しい独奏マンドリンとともにオーケストラも熱をもってクライマックスを築き上げ、この全曲の半分以上を占める楽章を力強く閉じます。

 

○第2楽章

自由な形式によるロマンティックな楽章。情感をたたえた主要主題に基づく小さな楽章ですが、リズムが複雑に交差するなど、技巧的な要素もあります。

 

○第3楽章

一転、リズミカルな舞曲風の楽章です。ティンパニとオーケストラが特徴的なずれたリズムを刻んで始まります。独奏マンドリンが精力的な第1主題を提示し技巧的に発展、土俗的な第2主題はオーケストラにより提示されて、この2つの主題が繰り返しながら展開を続け、終結に向け緊張感を高めていきます。華やかな独奏マンドリンの上昇音型とともに音楽は頂点に達し、全曲を力強く閉じます。


ジャン・シベリウス(1865~1957)

 

交響曲第5番 変ホ長調 op82(1915/1919)

 

1907年頃よりシベリウスはのどの異常に気づきます。持続性の腫瘍と診断され、1908年には腫瘍摘出のための手術を受け病根の除去に成功しましたが、再発の危険性、声帯に近い部位であるだけに言葉を失う可能性、癌の疑いなど、命の危機に直面しその恐怖が付きまとうようになりました。さらには、酒と葉巻を禁じられた苦しみもあったようです。この頃より彼の作風はさらに内面的深さを増し、形式はより自由に、調性も曖昧となっていきますが、断片的な動機などを発展させ全体を構築していく手法を確立します。

交響曲第5番は、1915年作曲者自身の生誕50周年記念の祝賀演奏会のために作曲されたため、祝賀的で華やかな要素ももっています。初演も成功に終わりましたが、シベリウス自身は満足せず、その後16年、17~19年と2度の改定を実施し、現在の決定稿となりました。

 

○第1楽章

フィンランドの森の夜明けを感じさせるような冒頭の上昇していく第1主題と、シンコペーションに特徴がある第2主題を中心としていますが、初演時は独立した2つの楽章であったものを1つの楽章に融合しており、まったく独自な形式となった楽章です。

テンポ・モルト・モデラートを中心とした前半部分は、終結部を迎えないまま、後半のアレグロ・モデラート部分に移行していきます。後半は、トリオも持ったスケルツォの特徴を持っていますが、再現部の機能を持ちながらもまったく新しい主題が間に割り込んできて独自の発展を遂げ、テンポも次第にあがるなか、このユニークな楽章を閉じます。

 

○第2楽章

ピチカート奏法で提示される主題に基づく変奏の側面をもった楽章ですが、形式はかなり自由に作られた独自のものとなっています。主題はより雄弁に、魅力的に広がっていき、まるで森の中を散歩しているときの、心の移り変わりを表すかのようです。

 

○第3楽章

疾走していくような心のざわめきを感じさせる第1主題により、大自然賛歌が始まります。そして、二分音符単位の重要な主題が表れます。これが「白鳥の主題」といわれるテーマの断片であり、シベリウスが1915年に見たという、頭上を旋回する16羽の白鳥の歌にインスピレーションを受けた主題と解釈されます。白鳥の主題にのって第2主題も表れますが、曲調はどんどん発展、成長を続けていきます。

断片のみであった「白鳥の主題」は、大きく羽を広げていき、終結部で初めてその全貌を明らかにします。この自然や生命の喜びをと感じさせる拡大された歌は、最後に6つの断続音に形を変え印象的に全曲を閉じます。