METROPOLITAN MANDOLIN ORCHESTRA

第20回演奏会

1.日時

 

2009年9月23日(水・祝日) 13:30開場 14:00開演

 

2.場所

 

日本大学カザルスホール  (地図はこちら)

 

3.指揮者

 

小出 雄聖

 

4.ギター

 

福田 進一

 

1955年大阪に生まれる。12歳より斎藤達也に師事、ギター奏法と音楽の基礎を学ぶ。

78年パリ・エコール・ノルマル音楽院にて、A.ポンセにギターを学ぶ。また音楽学、和声楽、楽曲分析をN.ボネに師事し首席で卒業。さらに80年イタリア・キジアーナ音楽院にてO.ギリアに学び、最優秀ディプロマを受賞する。

81年パリ国際ギターコンクールで優勝。一躍注目を集め、さらに内外で輝かしい賞歴を重ねた。すでに、デュトワ指揮N響をはじめ、アテネ市響(ギリシャ)、ビュルテンベルグ・フィル(ドイツ)、オルケストラ・ドゥ・グラン・レペルトワール(フランス)、キューバ国立響等、内外のオーケストラとの協演、ジャズの渡辺香津美などジャンルを超えた一流ソリストとの共演は常に話題を集め、常に絶賛を博している。

2004年~07年にかけて、世界20カ国以上の主要都市に招かれリサイタルを開催、数多くの国際ギターコンクールに審査員としても招かれた。海外で優れた邦人作品を積極的に紹介する等、日本の優れた音楽文化を世界に紹介した功績により、平成19年度外務大臣表彰を受けた。

05年より山形県庄内町「響ホール」にて開催されている“庄内国際ギターフェスティヴァルin響”の音楽監督を務め、その第1回からフェスティバルの名声を国際的に高めることに成功した。06年には「 Hakuju Hall ギターフェスタ 2006」を荘村清志氏とともに立ち上げ、プロデューサーとして斬新な企画とプログラムにより大きな注目を集める。キューバの生んだ大作曲家L.ブローウェルは、「かつて聴いたことのない真のヴィルトゥオーゾ、そして“音楽家”である」と称賛し、「悲歌~イン・メモリアム・タケミツ(96年)」を献呈、06年には新作「ハープと影」を献呈、5月の日本での世界初演に引き続き、台湾、ドイツ、フランスなど各国で初演。06年には野平一郎作曲の大作「悲歌集」を津田ホールで世界初演。2008年5月には福田進一に献呈されたブローウェルの協奏曲「コンチェルト・ダ・レクイエム」をコブレンツ国際ギターフェスティバルにてライン州立響と世界初演、7月には作曲家自身の指揮によりコルドバ管弦楽団(スペイン)にて再演され大成功を収めた。19世紀ギター音楽の再発見から現代音楽までのボーダーレスな活動は世界的な評価を獲得している。

発表したCDはすでに50枚を越え、近年ではスペイン音楽第2集「セビリア風幻想曲(マイスターミュージック)」、「ロッシニアーナ(コロムビア)」、「福田進一/アランフェス協奏曲」(飯森範親指揮ヴュルテンベルグ・フィルハーモニー管弦楽団/コロムビア)等をリリース。殊にスペイン音楽第2集「セビリア風幻想曲」は、平成15年度第58回文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞。最新作は「翼~イン・メモリアムタケミツ Vol.2」(コロムビア)。ますます精力的に活動の場を広げるスーパー・ギタリストである。

オフィシャルBLOG  http://cadenza-f.seesaa.net/

 

5.曲目

 

○ジャン・シベリウス(笹崎譲編曲)/交響曲第7番 ハ長調 op105

○北爪道夫/青い宇宙の庭III ~独奏ギターとマンドリン・オーケストラのための(委嘱作品・初演)

○グスタフ・マーラー(笹崎譲編曲)/交響曲第10番 より アダージョ

 

6.楽曲解説

 

ジャン・シベリウス(1865~1957)

 

交響曲第7番 ハ長調 op105 (1924)

 

交響詩「フィンランディア」(1899) があまりに有名であるために、シベリウスはフィンランドの民族主義的な作曲家としてよく知られているようです。確かに彼の初期の作品は、雄弁かつ理解しやすい構造による音楽です。しかし、1901年から4年間ほどシベリウスは耳を患い、1907年頃にはのどの異常に気づきます。持続性の腫瘍と診断され、1908年には腫瘍摘出のための手術を受け病根の除去に成功しましたが、再発の危険性、声帯に近い部位であるだけに言葉を失う可能性、癌の疑いなど、命の危機に直面しその恐怖が付きまとうようになりました。さらには、酒と葉巻を禁じられた苦しみもあったことと思います。この頃より彼の作風は内面的深さを増し、形式はより自由に、調性も曖昧となっていきますが、断片的な動機などを発展させ全体を構築していく手法を確立します。

 

交響曲第7 番を完成させたのは59歳の年であり、結果としてシベリウスは91歳という長寿を全うしたのですからのちにいくつもの作品があってもおかしくないのですが、翌年の交響詩「タピオラ」以降には小品がいくつか残されているだけで沈黙が続くのです。理由は明らかではなくさまざまな憶測がされていますが、この曲が最後の交響曲であることと、「シベリウス的」な音楽の最高到達点に達した作品であることには変わりがありません。

 

1918年の手紙の中に交響曲第7番の構想が記されており、そこでは3楽章から成り立ち、「生命と活動のよろこび」「情熱的なパッセージを伴い」「フィナーレはギリシャ風のロンド」とあります。しかし完成した1924年には、その姿は大きく変貌をとげました。他に類を見ないほどの有機的な構成による、単一楽章となったのです。伝統的な交響曲は4つの楽章から成り立つものであり、従来の発想であれば4楽章の色合いを単一楽章の中に盛り込むことになるのでしょうが、この曲は伝統に対して全く自由な形式です。その内容も「生命と活動のよろこび」という次元を超えた、深みや崇高さを感じさせます。

 

冒頭、 ティンパニによるG音から始まるハ調のシンコペーションを伴う音階に始まり 、 断片的な主題動機が導かれます 。 やがて、 コラール風の息の長い旋律が現われます 。 シベリウスは交響曲第2 番を作曲した頃から教会旋法の研究をしていたと言われており、 編曲者の笹崎氏は、「 教会音楽の父」ともいわれるパレストリーナ(1525/26~1594) との関連性を指摘しています。 このコラールの部分には教会旋法がポリフォニーの手法により用いられています。

やがて次第に厚みを増していくと、本日はマンドローネとマンドロンチェロにより輝かしい精神性を感じさせるハ長調の核主題が歌われます。この核主題は、ハ長調の舞曲風の場面などいくつかの場面を挟みながら全曲中に3度演奏される重要なテーマです。最後に演奏されるのはこの交響曲のクライマックスであり、いったんその興奮を鎮めたあと冒頭主題を回想しながら音楽は結尾へと進んでいきます。そじて、核主題最初の2つの音の進行を受けて、最後は力強くハ長調の主和音を響かせて、感動的に全曲を閉じます。

 

これらそれぞれの主題は密接に関係しており、笹崎氏は「植物的な形式」と評しています。いくつかの音楽の種がまかれて、それぞれが発芽し、枝葉を伸ばし、絡み合い、大きなひとつの生命体になっていく形式として捉えると、シベリウスが到達したものに近づくことができると思います。


北爪道夫(1948~)

 

青い宇宙の庭III ~独奏ギターとマンドリン・オーケストラのための(2009) (委嘱作品・初演)

 

福田進一さんには「青い宇宙の庭I、II」という2 曲のソロ・ピースを書かせていただいた 。 もっとも、 この2曲の間には21年という長い隔たりがあるのだが、 福田さんの清新な演奏イメージはこのタイトルが示すように今も昔も全く変わらない 。 だから、今回の協奏曲に、 この2曲からの引用を多く含ませることに私として何の躊躇も無かった 。 とはいえ、 バックがマンドリン・オーケストラであることは大きな難関として筆を遅らせた。

ここでは、 ギターとマンドリンを似て非なる楽器として把握している。 したがって、 二つの楽器は全く違う楽想をもって寄り添っている 。 2種類の撥弦楽器の遭遇はワクワクする実験でもあり期待が膨らむ。

(北爪 道夫)

 

作曲者プロフィール

 

1974年東京藝術大学大学院修了。’77年、「アンサンブル・ヴァン・ドリアン」結成に参画、作曲・企画・指揮を担当、内外の現代作品紹介に努め、’83年、第1回中島健蔵音楽賞を受賞した。’79年より1年間、文化庁派遣芸術家としてフランスで研修。以降、様々な団体からの委嘱により多くのオーケストラ作品を作曲、内外で再演。’94年《映照》で尾高賞を受賞、同作品は’95年ユネスコ国際作曲家審議会(IRC)最優秀作品に選出され、IRC50周年記念CDに主な作品として収められた。’01年《地の風景》で尾高賞を受賞。’04年「サントリー音楽財団・作曲家の個展」での《管弦楽のための協奏曲》など長年にわたる作曲活動に対して第22回中島健蔵音楽賞を受賞。他に、《悠遠―鳥によせて》など2曲の国立劇場委嘱作を含む邦楽器のための作品群、さまざまな楽器や声のための作曲は多岐にわたり、自然との対話から紡ぎ出された音響によるそれらの作品は、内外のコンサート、放送、CDで紹介されている。他に、FMベスト・オブ・クラシックのテーマ音楽やラジオドラマの音楽等を担当、多くの受賞歴がある。

CD:「北爪道夫オーケストラ作品集」(FOCD2514)、「北爪道夫・作曲家の個展」(FOCD3505)他。

現在、国立音楽大学教授、日本現代音楽協会理事。

 

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グスタフ・マーラー(1860~1911)

 

交響曲「第10番」から「アダージョ」 (1910)

 

世紀末の巨匠グスタフ・マーラー。彼の作品は、矛盾するようなさまざまな要素が奇妙に同居しています。陽気だったかと思えば、すぐに鬱状態になって沈み込む。男性的で、なよなよして、洗練されていて、生々しく、内気であり、壮大で、確信的で、不安定。明らかに分裂をして、全てを抱合しています。これらはマーラーその人そのものです。彼の音楽が私小説的といわれる点は、ここにあります。しかし彼の交響曲程の長大な作品は霊感と共に一夜にして作曲された作品であるはずも無く、スケッチに始まり推敲の上に作曲された音楽であることを忘れてはなりません。

 

第10交響曲を語るときに触れておきたい有名なエピソードがあります。ベートーヴェンやブルックナー、ドヴォルザークなど近代の大作曲家の多くは第10交響曲を完成していません。既に狭心症の発作に倒れていたマーラーは自分に残された時間もあとわずかだと予感して、9番目の交響曲を交響曲「大地の歌」として発表しました。その後改めて第9交響曲を完成しますが、本来11番目の第10交響曲は今回演奏する第1楽章のほぼ完成されたスコアと、第2楽章・第3楽章のショートスコア、第4楽章・第5楽章の草稿を残し、未完成のまま世を去ります。1911年5月18日、連鎖球菌に冒された彼ののどは「モーツァルト!」の一言をつぶやき、そのまま息を引き取りました。

 

シェーンベルクはマーラーの第9交響曲を評して「一つの極限であり、これを超えようとするものは死ぬほかはない」と言っていますが、マーラーは完成直後すぐに第10交響曲の作曲に手をつけています。彼の作品の楽譜には演奏家の立場から見た細かな注釈、演奏上の指示が多いのですが、第10交響曲にはこんな書き込みが見られます。「お前のために生きよう!お前のために死のう!アルマ」。アルマとはもちろんグスタフより19歳年下のマーラー夫人、アルマ・マルガレーテ・マリア・マーラーのことです。アルマは美しい容姿と豊かな知識を持ち、男性に力を与える能力を持っていた女性であり、マーラーと出会う前にはクリムトと関係があったとも言われています。1902年にマーラーと結婚するのですが、マーラーは交響曲第4番の作曲を終え、作曲家として完成されていく時期にあり、既に、本質的にマーラーの芸術に影響を与えることができる時期ではありませんでした。さらに自身も作曲家であったアルマはマーラーにより作曲禁止が言い渡されたことにより、自らの芸術を表現する道は閉ざされてしまい、窮屈なものを感じていたようです。

1910年の夏、マーラーが第10交響曲に着手した頃、アルマと若い才能ある建築家ワルター・グロピウスとの不倫が表面化し、結婚生活は危機に瀕します(マーラーと死別したアルマは、1915年、正式にグロピウスと結婚しますが、4年間で離婚します。さらにアルマは画家ココシュカや詩人ヴェルフェルとの関係もありました)。前述のように本来壮大な5楽章構成として完成されるはずだったこの作品は、草稿の中にアルマへの愛と決別の言葉「これが何を意味するか知っているのは君だけだ ああ! ああ! ああ! さようなら 私の竪琴! さようなら さようなら さようなら」が書きこまれ、未完に終わりました。

 

ほとんど完成されていた第1楽章「アダージョ」は1924年、第3楽章とともにフランツ・シャルク指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によって初演されました。その後マーラーの白鳥の歌として、第1楽章のみが本日のように演奏会やレコーディングにより取り上げられてきました。やがて残された資料をもとに研究が進められ、今日では1 9 6 4 年に初演されたイギリスのデリック・クックらにより編まれたいわゆる「クック版」全5楽章が評価を得はじめています。他にも「カーペンター版」「マゼッティ版」「ホイーラー版」「サマーレ&マッツーカ版」などが録音されており、全曲が演奏される機会も増えてきました。

 

さて、この第1楽章はおおよそのソナタ形式と見られますが、従来形式からは大きく逸脱しています。まず冒頭マンドラ・テノールに無伴奏の調性が判別できない旋律が、緊張感の中に提示されます。他の作品に類を見ないほどの長大な無伴奏のモノローグであり、これが楽曲の展開の道標の役割をしています。 このモノローグはワーグナーの楽劇「ジークフリート」と関連があるとされますが、さらに編曲者の笹崎氏は、同じくワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の主題や自身の「第6交響曲」のアルマ主題との関連の可能性を示唆しています。続いて提示される第1主題はマーラー独特の大きく跳躍する旋律であり、 最大で11度もの跳躍をします。深い愛情に満ちた主題であり、アルマへの愛を想起させます。ここもまた、自身の「第6交響曲」や「 子どもの不思議な角笛」との関連が指摘されています。一方、第2主題はワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」の魔法使いクリングゾルの主題との関連を感じさせるもので、アルマの魔性の女性の側面を表すかのような妖しげな主題です。これらは冒頭モノローグと強い関連を感じさせながら、嘆くように音楽が進んでいきます。

曲の終わり付近では、突如、変イ短調によるコラールが奏され、音階の12音の中からA音(ラの音)だけが除かれた他の11音で音楽が作られます。この印象的な場面は、マーラーの初期の作品、カンタータ「嘆きの歌」における邪悪な兄による弟殺しを告発する笛の場面との関連を感じさせると笹崎氏は指摘します。そしてついにA音が、嬰ハ音上の9 個の音からなる不協和音の中から浮かび上がります。Aは、アルマ(Alma)の頭文字であり、その関係を疑う余地はありません。やがて丁寧に主要主題が編まれ、静かに別れを告げて曲を終えます。

 

このように交響曲第1 0 番は、 自身の作品だけではなくワーグナー作品などからの引用・暗示を多く含んでいますが、マーラーは生前ウィーン国立歌劇場音楽監督も務めた大指揮者であり、これらの作品を熟知していたことと大いに関係があります。あたかも推理小説のような仕掛けが施されており、一時期アルマが上演や出版を差し止めたのは、第三者による謎解きを恐れたのではないかとも推察されます。しかしそれを感じさせないほどの曲創りがされており、放送録音を聴いたアルマは態度を軟化して手元に残していた楽譜も提供し、私たちにこの交響曲が残されたのです。アルマは、芸術を愛した女性だったのだと思います。

 

またマーラーの特徴として第1・第2 ヴァイオリンが対位法的に扱われ、均等な表現力を求められています。本日はステージに向かって左手:下手側に第1マンドリン、右手:上手側に第2マンドリンを、中央部にマンドラ、マンドロンチェロ、中央奥にギターを配置しています。

(1999年9月、2009年9月:記)