METROPOLITAN MANDOLIN ORCHESTRA

第21回演奏会

1.日時

 

2010年9月12日(日) 13:30開場 14:00開演

 

2.場所

 

紀尾井ホール

 

3.指揮者

 

小出 雄聖

 

4.マンドリン

 

佐藤 洋志

 

5.曲目

 

○モーリス・ラヴェル(笹崎譲編曲)/ツィガーヌ(演奏会用狂詩曲)

○クロード・ドビュッシー(笹崎譲編曲)/歌劇「ペレアスとメリザンド」より

○ジャン・シベリウス(笹崎譲編曲)/交響曲第6番 作品101

 

6.楽曲解説

 

モーリス・ラヴェル(1875~1937)

 

ツィガーヌ(演奏会用狂詩曲) (1924)

 

ツィガーヌとは、生活拠点を移動させながら集団で過ごすスタイルの人(ロマ.。英語ではジプシー。)を指すフランス語だそうです。この作品は、1924 年、ハンガリーのヴァイオリニスト、イェリー・ダラニーのために書かれました。ラヴェルは、「ツィガーヌ」着想中にパガニーニの「24 の奇想曲」を聴き、これを越える特別な超絶技巧を駆使した作品に仕上げたいと強く思うようになりました。結果、ヴァイオリンのレパートリーの中でも指折りの難曲が誕生したのです。かつてはサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」と並んで、多くのヴァイオリニストのアンコールピースとして盛んに取り上げられました。

 

原曲は、ピアノに装置を取り付けて音色を変えることができる「ピアノ・リュテアル」の伴奏をともなう、独奏ヴァイオリンのためにために書かれています。ピアノ・リュテアルは、ハンガリーの民族楽器「ツィンバロン(張られた弦をマリンバのようにハンマーでたたく)」に似た音色を出せたそうで、ラヴェルの新しい音への好奇心の強さを感じます。現在では普通のピアノ伴奏で演奏されるほか、ラヴェル自身が編曲した2 管編成のオーケストラ伴奏版も広く演奏されます。

 

冒頭、全曲の4 割近くの長さがあるヴァイオリン独奏(本日はマンドリン独奏)のカデンツァに始まります。語るような旋律はジプシー的な増2 度の音階を多用して、緩やかで即興的な導入部を形作ります。伴奏が加わると新しい旋律を導きだしながら、テンポがめぐるましく変わる急速な主部となり、クライマックスへ向けて駆け抜けていきます。ピツィカート、重音奏法、ハーモニクスなど華やかな技巧を駆使した作品ですが、本日の編曲版は、「弓で弾く」「2本の弦をずらして押さえ、指定された異なる音程を出す」「箸などで叩く」など、伴奏パートに特殊奏法を取り入れ、この編成ならではの新しい響きを目指しています。


クロード・ドビュッシー(1862~1918)

 

歌劇「ペレアスとメリザンド」より(1893~1895,1901~1902)

 

近代フランス音楽の巨星ドビュッシーは、学生時代からワーグナーに傾倒していたことが知られています。しかし、管弦楽と声がとめどもなく張り合い、音楽と詩が幾重にも説明を加えていくおしつけがましいまでの雄弁なワーグナーの作品にやがて過度と重圧を感じ、ドビュッシーはワーグナーを超えたオペラを目指し始めるのです。メーテルランクの戯曲「ペレアスとメリザンド」は、「すべてを語りつくしてしまわずに、作曲家の夢が詩人の夢に接木されることを許すような」台本を探していた彼にとってうってつけでした。1893 年、「ペレアスとメリザンド」の上演を観たドビュッシーは、早速メーテルランクに作曲の許可を取りつけます。1902 年の初演まで約10 年間にわたって推敲を続け、前半生の代表作となりました。

 

なお、「ペレアスとメリザンド」は、時期を接するようにして、フォーレの劇付随音楽(1898、1901 年に組曲に改編)、シェーンベルクの交響詩(1902 ~ 1903)、シベリウスによる劇付随音楽(1905、組曲にも改編)が書かれていることも広く知られています。

 

ドビュッシーのこの歌劇は全5 幕15 場からなりますが、原作はわずかにカットされただけで、ことさらテキストが大切にされています。全幕ともアリアや重唱はなく、各場面はオーケストラの間奏曲で結び合わされます。登場人物や場面の主題・動機が効果的に用いられ、劇の進行を語っていきます。そのオーケストラもフォルテシモで鳴り響くのはほんの数ヶ所で、ほとんどはフランス語の言葉の響きとニュアンスを大切にした朗唱風の歌唱で展開されていきます。ワーグナーの代表作である楽劇「トリスタンとイゾルデ」の愛と復讐の物語と近いテキストを持ちながらも、これを乗り越えたドビュッシーの独自性が発揮されたものと言ってよいでしょう。

 

他にもこのオペラにはいくつかの特徴があります。物語の舞台となる場所、時代や人間関係などはあいまいで、メリザンドは最後まで謎な少女であり、ほとんどが夜の場面です。ドビュッシーはこうしたテキストの、泉の水のきらめき、森のざわめき、霧や風といった自然の息吹を、巧みに音楽にのせていったのです。こうしたドビュッシーの「光と影」を、マンドリン・オーケストラが得意とする半透明な色彩感によって表現をすべく、本日は冒頭のゴローとメリザンドの出会いから終幕のメリザンドの死までを、4曲からなる組曲としてお届けします。

 

◎第1曲/第1幕より

狩の最中で道に迷ったゴロー公は、泉のほとりで泣いている金髪の少女メリザンドと出会う。その素性は明確にあかされず、大きな運命に委ねられたかのようである。ゴローはメリザンドを妻として宮殿へ連れて帰る。

 

◎第2曲/第2幕より

ゴローの異父弟ペレアスとメリザンドの間にやさしい友情が生まれる。庭園の泉でペレアスと会っていたメリザンドは、誤ってゴローから受けた指輪を泉に落としてしまう。指輪をしていない彼女を、ゴローは疑い始める。

 

(第3幕・・・ペレアスとメリザンドは徐々に恋に陥る)

 

◎第3曲/第4幕より

ペレアスは家を離れる決心をする。泉のほとりで最後の夜の逢引き。闇の中で二人は固く抱擁しあい、「おお、星が降ってくる」「私の上にも」。音楽は高潮してゆくが、ゴローに発見されてしまう。ゴローは踏み込んでペレアスを剣で刺し殺す。傷をつけられたメリザンドは逃げていく。木々の間を追うゴロー。全曲でわずかしか出現しないフォルテシモで曲を閉じる。

 

◎第4曲/第5幕より

子供を産んで、死の床につくメリザンド。ゴローは罪を確認しようとメリザンドに尋ねるも、明確な返事はされなかった。ひっそりと彼女は息を引き取る。メリザンドの遺体を残して、舞台に人影はなくなる。音楽はディミヌエンドしていき、嬰ハ長調主和音を残して消えていく。

大きな力の中で生きる人々の、架空の国アーモンドでの物語である。

(2000年9月、2010年9月:記)


ジャン・シベリウス(1865~1957)

 

交響曲第6番 作品101 (1923)

 

シベリウスの交響曲は、まるで自然のエネルギーを集めて生み出されたかのように感じます。いわゆる西洋音楽、特にロマン派の音楽が人間の意志に基づいて作られた感じを受けることに対し、シベリウスの音楽は自然の中にはじめから存在している響きを丁寧にすくい取り、それを楽譜の上に落とすことにより生まれてきたのではないかと思えます。

 

さて、交響曲第6 番は全4 楽章からなり、全体としてとてものびやかな性格をもっている音楽です。宗教的な雰囲気も感じなくはありませんが、それはシベリウスが研究していた中世の大作曲家パレストリーナ(1525/26 ~ 1594)の教会音楽の影響のためかと思われます。この交響曲の多くは、ドリア調といわれる教会旋法によっているのです。

 

◎第1 楽章:アレグロ・モルト・モデラート

聖歌を思わせるドリア調の序奏により、音楽が開始されます。やがて刻まれたリズムにのった軽やかな主部へ。全曲を通じて重要な役割となる動機が、この楽章で提示されます。

 

◎第2 楽章:アレグレット・モデラート

牧歌的な緩徐楽章。次第に細分化されるリズム、後半で突然わきおこる森のざわめきなど、独自性の強い楽章です。

 

◎第3 楽章:ポコ・ヴィヴァーチェ

スケルツォ風な楽章。騎行のリズムや突然の和声転換が特徴的です。

 

◎第4 楽章:アレグロ・モルト

冒頭は第1 楽章の動機と関連の深いコラールで、 シベリウス独自の空間の広がりを感じさせます。 半音階進行から突然冒頭のコラールが変形されて回帰するする場面は、 たいへん印象的で鮮やかです。 湖に複雑な波紋が広がるように静かに印象的に、 沈黙の内に曲を閉じます。

 

シベリウスはこの曲で、「フィンランディア」(1899、改訂1900)の頃の民族独立といったテーマとは次元の違う高みに到達していると思います。

(2010年9月:記)