METが活動の拠点をカザルスホールに移してから6回目の演奏会。
1. 日時
1998年9月6日(日) 開場18:30 開演19:00
2. 場所
カザルスホール<お茶の水スクエア内>
3. 指揮者
4.曲目
Ⅰ部○アルバン・ベルク(笹崎譲編曲)/ピアノ・ソナタ 作品1
○近藤讓/眠るヴェニス―――マンドリン・オーケストラのためのアリア(1995)
Ⅱ部○モーリス・ラヴェル(笹崎譲編曲)/高雅にして感傷的なワルツ
○クロード・ドビュッシー(笹崎譲編曲)/交響組曲「春」
<解説>庄山 恵一郎(「眠るヴェニス」の項を除く)
アルバン・ベルク
ピアノ・ソナタ 作品1
新ヴィーン楽派の3人、シェーンベルク(Arnold Schoenberg 1874-1951)、ヴェーベルン(Anton von Webern 1883-1945)、ベルクの中でも、ベルクは、もっともドイツ=オーストリア文化の伝統の上に成り立っている作曲家だと言えるでしょう。彼らは19世紀末の後期ロマン派から出発し無調音楽に至りますが、3者3様のスタイルで12音技法を身に付けていきます。この用い方によっては非人間的な要素があるテクニックを利用しながらも、ベルクの作品は濃厚なロマンとあたたかい人間性に溢れています。「ヴァイオリン協奏曲」や歌劇「ヴォツェック」は、目眩がするほどの香りを放ち、今世紀の同種の音楽の中での最高傑作であることは、多くの人々が認めていることでしょう。
ベルクが残した作品は初期の習作を除くとわずか20曲ほどですが、どれも大変に充実した傑作です。彼の師であるシェーンベルクのもとから卒業作品的意味で作曲されたものが、記念すべき作品番号1番を与えられた「ピアノ・ソナタ」です。この曲は、単一楽章のみでかかれています。本来は3楽章になる予定だったようですが、1楽章を完成した後「適当なものが思い浮かばない」こととなりました。相談を受けたシェーンベルクはベルクに、「ではあなたは、言うべき事をすべていってしまったのでしょう」と語ったそうです。
ロ短調を基本とするソナタ形式によってかかれていますが、調性感はきわめて希薄です。音程関係とリズムで全曲が統一され、冒頭テーマ主題が対位法的に展開をされていきます。調性の変化を展開の基本とした従来のソナタ形式に比べ、その手法は革新的です。じっくりと時間をかけて、主題は頂点に向かって進んで行きます。内なる劇性とロマンを秘めて、やがて静かに曲は終わって行きます。
この時既にベルクは、後年を予見させるに十分なベルクになっていました。
近藤讓
眠るヴェニス―――マンドリン・オーケストラのためのアリア(1995)
マンドリンという楽器は、伝統的に、二面的な性格を抱え込んでいる。即ち、トレモロで奏される際の歌唱力、そして、単音で弾かれる場合の撥弦楽器としての点的性格である。音楽的には、これらの二つの面は、必ずしも常に両立するとは限らない。この作品での私の試みのひとつは、正に、この楽器のそうした両面の音楽的活用を一曲の中で同時に行うことであった。
この作品は、第1及び第2マンドリン、マンドラ、マンドロン・チェロによる4部合奏を主体に書かれている。そこから生み出されるスタティックな音楽に、ギターが奏する点的なアクセントと、コントラバスの旋律的線(この線は、アルト・フルートによって補強されてもよい)が重なり合うことによって、或る種の劇的な効果が生じる。
「マンドリン・オーケストラのためのアリア」という副題を持つこの<眠るベニス>は、NHKの委嘱により、JMJマンドリン・オーケストラのために、1995年の10月に作曲された。
(作曲者記)
作曲者プロフィール
1947年、東京生まれ。1972年、東京芸術大学音楽学部作曲科卒。J.D.ロックフェラーⅢ世基金、ブリティッシュ・カウンシル等の招きで、ニューヨーク、ロンドン等に滞在。また、アメリカ、カナダ、イギリス等の諸大学や国際音楽講座で作曲の客演講師を務める。現在、エリザベト音楽大学教授、また、東京芸術大学でも教鞭をとっている。
1980年に、現代の音楽を演奏する目的の室内オーケストラ「ムジカ・プラクティカ」を設立。1991年のグループ解散まで、10年間にわたってその音楽監督として演奏会シリーズを組織した。
これまでに作曲した80曲を超える作品は、独奏曲、室内楽、オーケストラ曲、オペラ、電子音楽にわたっており、それらは国内のみならず、欧州、北欧でも頻繁に演奏され、また多くがCDに録音されている。また、楽譜は、ソニック・アーツ、C.F.Peters(New York)、全音等から出版されている。
「フィレンツェの5月」音楽祭、ロンドンのアルメイダ国際現代音楽祭、ロンドン・シンフォニエッタ、パリのアンサンブル2E2M、NHK交響楽団、NHK、国立劇場をはじめ、内外の数多くの音楽祭、団体、機関等から作曲委嘱を受け、また、多くの国際現代音楽祭にテーマ作曲家として招かれている。
1991年、オーケストラのための『林にて』で尾高賞受賞。
著書に、『線の音楽』、『音楽の種子』、『耳の思考』、『現代音楽のポリティックス』(共著)、そして主な訳書に、ケージ『音楽の零度』、ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』等があり、また、英文の音楽誌「Contemporary Music Review」のアソシエイト・エディターでもある。
モーリス・ラヴェル
高雅にして感傷的なワルツ
ラヴェルのとても精密な、しかもとても洒落た音楽は、一見何とも心地よく響きます。イキやスイという感覚を西洋音楽にしたら、こうなるのかもしれません。とにかく彼の音楽は上出来に過ぎるほどなのです。しかし、もちろんそれは上っ面だけの浅い音楽ということではありません。計算し尽くされた音楽の、不気味さすら感じさせてくれるのです。
「高雅にして感傷的なワルツ」は彼の多くの管弦楽作品同様に、最初はピアノ曲として発表されました。初演は1911年、フォーレ(Gabriael Faure 1845-1924)の弟子たちを中心(注2)とする独立音楽協会が主催する匿名演奏会でした。この時「高雅にして感傷的なワルツ」の作曲者を当てたものはごくわずかだったそうです。
その後バレエ団からの依頼でオーケストレーションされバレエ音楽「アデライド、あるいは花言葉」として生まれ変わります。バレエの内容は、花に託した愛の表現をテーマとしたものだったようです。1912年パリのシャトレ座、ラヴェル指揮ラムルー管弦楽団によって、初演されました。実はシューベルト(Franz Shubert 1797-1828)のピアノ曲に「34の感傷的なワルツ」作品50や「12の高雅なワルツ」作品77という作品があり、ラヴェル自身もこれらの作品を意識して作曲したことを認めています。対照的な性格を持つ7つのワルツと、これらの回想を含むフィナーレ・第8ワルツからなり、全曲、中断されること無く演奏されます。
今回のマンドリン版は、オーケストラ版とオリジナルのピアノの両方から、編曲者の綿密な独創性を持ってスコアが編まれたことを記しておきます。
クロード・ドビュッシー
交響組曲「春」
ドビュッシーは最晩年の作品「ヴァイオリン・ソナタ」(1917年)に、「フランスの作曲家」と署名したそうです。折しも第1次世界大戦の最中、ドビュッシーも大きな影響を受けたワーグナーを生み出したドイツに対する愛国心の表われでしょうか?ドビュッシーの天才は、もう神に頼ることが無い音楽を持っていたのかも知れません。
さて交響組曲「春」は比較的初期の作品であり、本来オーケストラ、ピアノ、ヴォカリーズ合唱のための作品でした。ボッティチェリの名画「春」に刺激されて1887年頃生まれた作品です。
生命の誕生や生長を描写的にではなく、音楽の喚起する力を重ね表現した意欲作だったといわれていますが、スコアは事故で焼失したとされ、代わりに合唱・ピアノ譜がローマ賞芸術アカデミーへ提出されました。彼は既に1884年「放蕩息子」でローマ大賞受賞しておりましたので、第二送付作として提出されたこととなります。しかし芸術アカデミーは初演を拒否します。この時の審査員達によって、やや否定的な意味で印象主義という言葉が彼に対して使われ始めるのです。旧来の声楽パートが然るべき楽器に振り分けられた現行の管弦楽版は、1912年ドビュッシーの指示のもとでアンリ・ビュッセル(Henri Busser 1872~1973)が完成させ、1913年に初演されました。
2つの楽章からなりますが燃え立つような春の息吹きを、官能的にかつ冷静に歌い上げていきます。
本日演奏する編曲はピアノ2台とヴォカリーズ合唱のために出版された版よりなされました。この版と較べるとビュッセル版には数小節のカットが数カ所見うけられます。